四次元、五次元の世界
 窓から風に吹かれて葉を動かしている木が見えます。「木の葉一枚の動きさえ神は御存知である」ということがよく言われますけれども、このように一枚の木の葉がいつ落ちるべきか、そして動くべきかを知る存在が私たちの性的な行動を知らずにいる事があるでしょうか。私たちの存在は100%、肉眼では見えない存在からモニターされています。それがどのように起こるかを見てみましょう。
 私たちのこの星、そしてこの手で触り目で見える部分を三次元と呼びます。それからいわゆる四次元と呼ばれる層(アストラル界の下の層にあたる)があり、そこにはよく言われる悪霊であるとか、悪魔であるとか、そのような低次的な存在、しかし肉眼では見えない存在がいます。そして四次元の上にはそれよりもさらに繊細な世界である、いわゆる五次元がありますが、この五次元までにはこのような悪魔達は上ることは出来ません。なぜならそこはさらに繊細であり、また光が多くあるために悪魔達はそこにいることが出来ないからです。
 また、この五次元と呼ばれるアストラル界には町や市のようにたくさんの人々が集まっている場所があります。そしてそれぞれの町や村のような集団はそれぞれ科学や医術、また芸術や音楽などを開発して、この星の上での人類の進化を助け、防御し、また転生を助けています。
 私たちはこの三次元に属する肉体の死後四次元に行き、そこでマインドの球体が汚れている場合には洗浄を受け、また時にはちょうど病院のようにエネルギーを回復するまでの期間が過ぎてから五次元へと入ります。このようにして五次元へ上昇する準備が出来た時には自分が属する町や村に入ることになります。しかし、ただ漠然と五次元に入るのではなく、私たちがいつもメンタリーに想い念じているような、そういう想いで作られた町のバイブレーションに引き付けられて行くのです。
 さて、五次元までには「エゴ」が通ることが出来ません。したがってそこにいる間、私たちはエゴと分離して完璧な自由と解放感を味わいます。しかし四次元にいる間はエゴと共にありますから、すべての欲望を感じますし、またそれらが満たされずに大変な苦しみを味わうでしょう。ですから、肉体が死んだ後、自分の車や家や財産や家族への未練、執着があるならば苦しみを味わうことになるでしょう。しかし五次元では欲望によって考えるのではなく、純粋な愛によって色々な人のことを考えるのです。
 私たちは次に転生するまで無限にそこに留まります。そうするとこの五次元にいる間に何らかの叡智を得るための行動をすることができます。それは次の転生の前の休暇とその準備期間といえるようなものです。
 またそこでは何回もの転生を通じて知り合ってきた人々と行動を共にします。しかしすべての人に会えるという訳ではなく、未だ四次元で洗浄を受けている人とは一緒にいませんし、また反対にある人々はさらに進化を遂げているためにもっと上に上昇し、権利のない人は昇れない場所にいるかも知れませんけれども、彼等が降りてきて一緒になるということは可能です。

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