エゴの自衛策
エゴは私たちを騙す
 皆さんの中にも、ただ超常感覚機能を開発したいというだけでここに来ている人が多いでしょう。またパワーを得たいと思っているでしょう。そうすると、それに関連のないことは何も聞きません。ですからただ超常感覚機能を開発したいとだけ思っている場合は、エゴの話があると眠りこけます。ということはエゴはそんなことには興味をいだかないからです。またプログラムに「エゴについて」と書いてあるので今日は行くのはやめよう・・・と言います。
 そのように私たち自身がこの行動を決めているのではありません。エゴなのです。すなわち私たちの自由というものはエゴが徐々に絶滅していくことによって大きくなっていきます。すなわち、エゴをいくつ絶滅したかによって私たちの自由の度合いが変わってきます。そうすると私たちが自己観察をしはじめ、エゴを発見しようと試みるその瞬間からエゴの自衛策が始まります。私たちを騙します。
 たとえば、ここで「誰それさんはただ超常感覚機能だけに興味をいだいている」と言うとします。そうするとそのエゴを発見します。すなわちその人物に自分自身の姿を鏡で見させるようなものです。そうするとエゴはどうしようかと思います。そうするとまず最初にエゴがするのは自分を騙そうとすることです。エゴ自身が「それは本当じゃあない。本当は人類のために献身したいからここに来ているのだ」と言います。このようにして私たちを騙します。そうするとこのように自分で自分を正当化します。エゴはこのようにいつも言い訳を持っています。ということは自分がそれだけ汚れているということを認めることは決して好まないからです。ですから、本当にエゴと直面することを望むのならば、現実を直視しなければなりません。
 たとえば、アルコール患者の治療の例ですが、彼らはまず第一段階は順調に進みます。ということはアルコール中毒患者ばかりが一緒に集まります。そうするとそこで行う療法は一人が前に立って自分の体験を話します。すなわち自分はアルコール中毒患者であることを全員の前で認めます。そしてこのアルコール中毒のおかげで罪を犯したと認めます。そして娘を犯したということも告白します。そして盗みをしたと言います。このようにしてアルコール中毒によって犯した罪をすべて告白します。すなわち現実の現状を認めるのが第一段階です。
 すなわち、自分自身に正直であるということです。ということは、もうこの状態では全く気違いで病院に入るかまたは再生するかの道しかもう残されていないからです。このように必要によって現実を直視しなければならない状態に追い込まれました。でも私たちの中で、人の前でないにしろ鏡の前の自分に向かって自分はばかであると認められる人はあるでしょうか。これは私たちの好むところではありません。そうすると前と同じ、騙されたまま生きることになります。このようにしてエゴが私たちを騙します。
 そうするとエゴは攻撃を受けるので自分で自衛策を考えます。そしてそれは大変ひどい戦いになります。大変な戦いです。ということはそれは外の敵ではなく、自分の中にいる敵との戦いです。すなわち私たち自身が一番の強敵となるのです。他人のせいにするのは一番簡単なことです。たとえば「すべての不正行為は国家が悪い」と国家のせいにすることができます。批判することは最も簡単だからです。しかし本当に分析すれば、自分のせいなのです。
 たとえば、「私の妻はたくさんの欠点がある」と言って「すべては彼女のせいだ」とすることができます。ということは自分の欠点を見つけたくないからです。そうすると自分の欠点を彼女にあげます。そうすると「彼女のせいだ。彼女のせいだ」と言います。自分は美しいと信じます。私たちはどのように行動するか注目して下さい。他人の中にエゴをどのように認めるかというのが次のようなものです。
 たとえば、ある人があなたの話を聞いて、「あなたは誰々を批判しているのではないか」と言っている場合には、彼自身が大変な批判家であるということを知ることができます。すなわち、自分自身の欠点をそこで反映させるからです。ですから欲求不満の人を大変容易く発見することができます。すなわち欲求不満なので理由があってもなくてもすべて他人を批判します。ということは世界中の状態が彼らの思うように動かないからです。そうすると欲求不満に陥ります。そうすると誰かれなく攻撃します。
 そして何かを話したときにそれを信じないという人があれば、その懐疑心によってその人が大変うそつきであるということを知ることにもなります。たとえば欧米諸国ではこの懐疑心が大変一般化されています。ということは大変うそつきが多いからです。
 しかし日本では大変多くの人が信じるという性質を残しているのを発見しました。ですからいまだにこの日本民族は純粋な点を多く残している人たちだと思います。すなわち、これだけの機械文明とエレクトロニクスの時代にありながら、その純粋無垢な部分を多く保存しているからです。ですから多くの人たちも皆さんの中で子供たちのように天真爛漫な人がいます。このように素直に驚くというその素直さを多く保存している人がいます。このように素直に驚くことのできるという機能は超視覚自身よりもずっと重要なものです。ということは、それが新しいものを習得する扉が開いていることだからです。ですから、それだけの素直さがなければ新しいものがなければ、皆さんは何も習うことはできないでしょう。すなわち習得のための扉です。新しいものに通ずる扉です。そして希望を見出す扉です。ですからこのようにして子供たちは何でも習得していきます。ということは新しいことを素直にオープンにしているからです。たとえば、皆さんが子供たちをディズニーランドに連れて行ったとします。そうするといろいろなものを見て素直に驚く顔をご覧になるでしょう。そして子供だけでなく、大人もきっとそうでしょう。ですから、皆さんの内部の父である魂が望むこれだけの精神的な進化を可能にする性質を、この日本が持っています。

エゴは攻撃されると隠れる
 さて、もう一つエゴの自衛策として、攻撃されると隠れる、ということをします。ということは、エゴは私たちのサイキスのマインドに住んでいます。そしてこのマインドは目に見えない四次元のものです。時間にも空間にも拘束されません。このように空間には拘束されませんから、何百万というエゴが私たちの中に住んでいます。その上時間にも拘束されませんから、何回生まれ変わってもまだ生きています。そうすると一つのエゴが攻撃を受けてにっちもさっちもいかない状態になると、エゴは隠れます。しかし隠れるだけなのです。すなわち、まだ破壊はされていません。
 たとえば、多くの聖職者たちにもこういうことが起こります。すなわちこの欲望を殺すために出家などをして僧院に閉じこもります。一日中瞑想をします。そうすると瞑想のエゴが彼全体を所有します。そうすると他のエゴは休暇中です。そうすると多くの人々に良い行動をしようと努力します。そして精進料理を食べます。そのように神秘的な生活をしようと試みます。そうすると「仏陀は殺すことを許さない」と言います。そうすると動物を殺しません。しかし憎悪をまだ根絶していません。ねたみさえもまだ残っています。そうすると、このように一生の間僧院に入ってきても、何らかのきっかけがあった時に隠れていたエゴがもう一度戻ってきます。ということは瞑想はエゴを根絶するには充分ではないからです。
 たとえば十年間座禅を組んでいながら十年前と同じ嫉妬心を持っている人が何人いるでしょうか。また十年前と同じ虚栄心を持っている人が何人いるでしょうか。それどころか、それをさらに強化させて「一日に八時間もいつも瞑想をしている」などと言いふらします。すなわち瞑想をするということを見せびらかします。瞑想は大変重要なものです。すなわちエゴを研究し、理解するために重要なものです。しかし根絶するのは、それ以上のプロセスです。

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