代表的なエゴ
肉欲、怒り、恐怖のエゴ
 このようなエゴの態度が私たちを奴隷とします。一つのエゴがマインドだけにある場合は制御がききます。しかしこのエゴが私たちの感情にまで及んでくるとき、それを制御するのはもっと難しくなります。それプラス私たちの性エネルギーさえも我が物とエゴがしてしまった時に、私たちは完全にエゴの奴隷となります。すなわち、一つのエゴによってマインドとハートとそして性を占領された場合、それは私たちがエゴの奴隷となった時です。
 一般的に人々は一つか二つか三つぐらいのその人の性格の最も顕著とする強いエゴがあります。そしてそれは一般的に肉欲のエゴであったりします。世の中のポルノの氾濫を見れば、それがいかに強いものであるかはお気づきでしょう。そして二番目には怒りのエゴです。ですから、それをもとにして多くの暴力も発せられます。そして三番目に大変一般化しているのが恐怖のエゴです。世間でどんなことを言われるかということに恐怖をいだきます。学校の試験があると大変恐怖をいだきます。また仕事をやめさせられるということにも恐怖をいだきます。また年をとることにまでも恐怖をいだいています。また悪魔にも恐怖をいだきます。そしてさらに悪いことには神に対してさえも恐怖をいだきます。よく注目して下さい。この全人類がいだいている大変強いエゴのうち、これら三つが特に強いものです。
 ですから、私たち一人一人が自分自身を観察し、そして自分の最も強いこのようなものを強いものから順番に二つまたは三つを絶滅することがあれば、残りはずっと容易くなります。

怠惰のエゴ
 さて、この三つの強いエゴがあったとして、もう一つ大変ポピュラーなものがあります。怠惰のエゴです。そうすると、何をするにも面倒くさいということが私たちをどの分野においても進歩させません。そうすると多くの場合に、この一つの怠惰というエゴに対抗するために他のエゴが私たちを援助することもあります。このように他のエゴどうしがこの私たちの誰を占領するか、彼らどうしで喧嘩をします。
 たとえば、冷蔵庫にしまってあるアップルパイを食べようというその大食のエゴが出たとします。しかし冷蔵庫に行きつく前にそこに音楽があってベートーヴェンを聞きたいと思います。そうするとベートーヴェンが先かアップルパイが先かということです。私たちの中でエゴどうしの戦いがあります。そこで決めたことによってそのどちらかのエゴが勝ったということです。そうするとそのエゴはますます強くなりました。
 このように私たちは一生の間、自分自身の意思で生きていないということは全く信じられないほど真実です。そうではなく、私たちのエゴが導いているのです。

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