死のプロセス
死の天使の役割
 では誰がこの銀色の糸を切るのでしょうか。それは死の天使(死神)です。骸骨のような姿をし、大きな鎌を持っています。よく絵画などで描かれているあの姿です。死の天使は骸骨のユニホームを着ていますが、その服の中にいるのは天使です。
 死の天使は、いつも私たちの左側にいて、私たちが死ぬのを待っています。こういうとなんだか悪者みたいですが、そうではなく死んだ後の私たちを援助するためにいるのです。
 死の天使が銀色の糸を切らない限り、私たちは死ぬことはありません。しかし、この糸を切るか切らないかを決めるのは、死の天使ではなく、もっと高い次元でなされる仕事です。
 それでは、死のプロセスをもう少し詳しく見てみましょう。

肉体からの分離

 人間が死ぬと、その肉体は火葬または土葬などにされます。肉体はそれで終わりです。
 では、その時、目に見えない次元では何が起こっているのでしょうか。肉体が最後に吐く息を通して、霊と魂は体の外に出ます。その瞬間から、肉体はその機能を失って、肉体が属するところの土(地球)に戻るプロセスが始まりますが、肉体から離れた霊と魂にはその後も別のプロセスが続きます。
 銀色の糸が死の天使によって切られると、魂は肉体をすぐさま離れますが、霊はまだ主要なチャクラや神経叢との繋がりが残っているために、それらを徐々に切り離す作業が続きます。最後に切られるのは、肉体の後頭部と霊の後頭部を繋ぐ糸で、それは霊が肉体を後にするプロセスをすべて記録するために最後にまわされます。これらの分離は、ふつうは数分間のうちに起こりますが、中には数十時間かかることもあります。
 その後、霊と魂は光で満たされた筒のようなもの、シリンダーのようなものの中を、スピードを上げて上昇していくのを感じます。感覚的には大変な勢いで上昇していったように感じますが、上昇し終わると肉体の真上に浮いています。そして、見下ろすと死んだ自分が見えます。
 そうすると、自分の死体のまわりで、家族や親しい人々が泣いたり話している様子が見えます。また、葬式の打ち合わせや遺産相続のことなど、彼らが話している内容が分かります。聞こえるわけではなく、分かるのです。さらには、彼らが何を考えているかも分かってしまいます。それは、肉体の束縛を離れて三次元の法則に拘束されなくなったからです。

自分の死を自覚できないケース
 さて、実のところ上に述べたような死のプロセスは、自覚されないことも多いのです。というのは、多くの人は死に際して何が起こるか全く知らずに死にます。しかも、意識が眠ったまま死にますから、起こっていることが全く知覚できません。
 また、たとえ死のプロセスを知覚できたとしても、人間は死んだらそれでおしまいと考えていた人たちは、その状況が何を意味しているのか理解できません。死んでも意識があるため、自分は生きていると思ってしまいます。そして、死んだときの苦しみをそのまま持ち続けてさまようことになります。この状態は、自分はもう死んでいるんだと自覚できるまで続きます。
 ですから、生きているうちに死のプロセスについて知ることが大変重要なのです。また、たとえ本人が生前に知ることがなかったとしても、残された遺族や友人が故人に対して「あなたはもう死んでいるのですよ。だから、いつまでもここにいてはいけません」と伝えることができます。そして「叡智の光があなたを導きますように」と祈ることができます。これによって故人が自分の死を自覚し、死のプロセスを進むことができるようになります。

自殺者のケース
 では、自殺者の場合にはどういうことが起こるのでしょうか。自殺する人は、問題や苦痛から逃れるために、死ねばすべて終わると思って自ら命を断ちます。ところが、いざ決行してみると、確かに死ねたと思ったのに意識が持続しています。そして下方には、無残に破壊された自分の肉体が見えます。そのときになって後悔しても、もう肉体に戻ることはできません。そして、肉体と霊を繋ぐ糸が急激に引きちぎられるために、多量のエネルギー流出を引き起こして霊を衰弱させます。
 さてこのとき、まだ寿命が残っていて、銀色の糸が切られていなければ、もっと悲惨なことになります。たとえ肉体に戻ったとしても、肉体は破壊されているので、動くことも話すこともできません。やがて葬式が始まり、火葬にされます。このとき、どれくらい苦しむでしょうか。生きながら焼かれているのと同じことになります。
 そしてさらに悲惨なことに、自殺をした人は低次へ、すなわち地獄へと下降することになります。なぜなら、進化のために与えられた肉体を自ら破壊することは、宇宙の摂理に反する行為であり、大変有害な成分を生じるため、それを洗浄しなければならないからです。
 また、もう一度転生することになるなら、自殺した前世よりもさらにつらい人生になることでしょう。
 このように、自殺は問題の解決にならないばかりか、かえって苦しみを増やすことになります。

パーソナリティーは死後、幽霊となる
 ところで、人間が死ぬときには肉体から霊と魂が離れ、同時にそれに属するエネルギーも分離しますが、死の瞬間に放たれるもう一つのエネルギーとして、パーソナリティー(人格)があります。パーソナリティーとは、生まれたときからの環境、家族、学校、国などの影響によって形成される人間の最も表面的な行動や表現、雰囲気のことで、肉体のまわりを覆うエネルギーです。
 このパーソナリティーが、肉体の死後、墓地周辺や生前にいた場所に出没したりする幽霊の正体です。この幽霊は、霊や魂のように永遠ではありません。その人の開発したパーソナリティーの強さによって残る期間は異なりますが、時が経つに従って徐々に消えていくものです。中には、この世への執着や未練が強く、数百年も残ることもあります。
 実は、あの世と交信する霊媒たちの中には、これらの死者のパーソナリティーである幽霊と交信しながら、それを死者の魂や霊だととり違えている場合が非常に多いのです。故人の本当の霊と交信できるのは、次項で述べる高次の世界で休暇をしている霊のみです。この場合にのみ、正しい情報を得ることができます。ですから、注意が必要です。故人の霊は既に別の人間として生まれ変わっているかもしれません。また、地獄で洗浄を受けている霊には、地上と交信する自由もなければ、その余裕もありません。ですから、本人の霊と交信できることは非常に稀なことなのです。

故人の霊に対する本当の供養とは
 先祖供養といわれる故人への祈りと尊敬、そして供物を捧げる風習は、日本だけでなく世界の多くの国々で行われています。しかしながら、その大部分は、時の流れとともに本来の意味を失い、死後の世界への無知が原因となって、形骸化してしまっています。
 実のところ、墓参りをしてお供えをしても故人の霊の役には立ちません。そこで大喜びするのは故人のパーソナリティー、幽霊です。なぜなら、故人の霊はお墓にはいないからです。既に生まれ変わっているかもしれません。あるいは地獄で洗浄を受けているかもしれません。
 ですから、故人の霊がどの次元にいたとしても、叡智の光が与えられるように援助を願うこと、これが故人の霊にとっては本当に役に立つことなのです。

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