アステック・カレンダー
アステック・カレンダーの起源
アステック・カレンダー/オリジナル
アステック・カレンダー/オリジナル
アステック・カレンダー/色の再現
アステック・カレンダー/色の再現
 この太陽の石アステック・カレンダーは、1790年12月17日にメキシコ・シティのソカロ(古代アステカ王国の首都テノチティトランがあった場所)の土中から発掘されたもので、アステカ宇宙起源論を主題としたこの暦石には、地球誕生から現在に至るまでの数々の時代と人類の歴史が刻まれています。直径3.5m、重量24.5tの一枚岩からなるこのアステック・カレンダーは、その規模と重要性によって、現在、メキシコ国立人類学博物館の中でも最も重要な位置を占めています。現在では色はほとんど残されていませんが、その元の姿は色とりどりのものでした。科学分析による色の再現が図に見られます。
 このアステック・カレンダーは、アトランティス大陸が沈んだ後にメソアメリカ、現在の中央アメリカ、メキシコの地域に移り住んだアトランティス人達が石に刻んだものです。
 メキシコ人にとって、アトランティスは神話的な存在でも、またただの理論でもありません。なぜならば現在は、スペインの植民地の後には、スペイン語が公用語として使われていますけれども、その前のメキシコではナウアットル(Nahuatl)語、アトランティスを起源としたナウアットル語を話していたからです。ですからこのアトランティス(Atlantis)、ATLではじまりますけれども、このアトルという語幹が大変多くナウアットル語には見られます。このアトルというのは水の意味ですけれども、その後にヨーロッパからやって来た人々がその土地の人々に「あなたがたの先祖は誰ですか?」と聞いたときに、このメキシコに住んでいる人達は、「現在の大西洋の位置にある四方を水で囲まれたアストランという島で、そこから七つのナウアットルアンカの部族がここにやって来た」と伝えました。
 ですから、今回皆さんにお話するのは、この人類の起源について多くの理論、仮説が存在しますけれども、これは仮説の一つなのではありません。今回は古代アステカの文明が伝えた知識を通して、この現在の人類の起源というものを立証するいくつかの証をお見せしながら話を進めてゆきたいと思います。

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