死後にたどる三つの道
 さて、その自己審判の結果によって、霊と魂の行き先が決まります。それには、ふつう次の三つの道があります。
生まれ変わり(転生)
 これは最も一般的なもので、もう一度肉体をもってこの世に生まれ変わるという道です。これが、転生とか輪廻転生と呼ばれるものです。その目的は、その前の人生で習得できなかったことを、次の人生で学ぶためです。
 ですから、次の人生では、前世で行った悪行の結果を受けることになります。それは罰としてではなく、それを通して前世でつくった借りを返すことで、何かを習得する、そのためのチャンスとして与えられるのです。また、前世での善行の結果も受けますが、それも同様に習得のために生かすべきものなのです。
 そうすると、とりもなおさず、「現世の環境とは前世の結果である」ということです。あなたは、自分の容姿や性格、家族や環境に不平不満をもっているかもしれませんが、それは自らがつくった結果なのです。そして、それらをうまく生かすことで、大きく飛躍できるのです。すなわち、前世での借りを返すチャンスが、あなたの周りにはたくさん用意されているのです。

高次の世界で休暇
 これは、人生において人類のために献身をしてきたけれども、まだ完全にはその過程を終えていないとき、しばらくのあいだ高次の世界で休暇が与えられるというものです。
 この世界は、いわゆる天国と呼ばれるところです。ここは、愛と調和に満ちた世界です。この世界では多くの霊魂たちが幸福に暮らしています。といっても、遊んでいるわけではなく、何らかの学習や仕事をしています。それは、さらなる進化のための習得をするためです。そして、ここで習得したことは、ふたたび肉体を与えられたときに、生まれながらの才能として持っていくことができます。わずか四歳で作曲をしたという音楽の天才モーツァルトなどは、その典型的な例です。

低次の世界(地獄)で霊の汚れを洗浄
 これは、いくつもの転生を経ても何も習得することなく、それどころか罪ばかり犯してきた場合に行く道です。
 私たちは、108回生まれ変わった後、それらの人生で行ってきたことを収支決算します。(ちなみに、除夜の鐘を108回つくのも、108個の珠を持つ数珠も、この108回の転生を表したものです。)その結果、悪い行いの方が多ければ、低次の世界(地獄)に落ちることになります。これはよく言われるように、罰を受けに行くのではありません。霊の汚れを洗浄してもらいに行くのです。すなわち、生きている間に人々へ奉仕をせず、自分勝手に生きてきたために汚れた自分の霊(心理)を強制的に洗浄してもらうためです。強制的な洗浄ですから、大変な苦しみを感じることになります。
 そして、地獄での洗浄が終わると、また108回の人生が与えられます。つまり、毎回の人生で自己審判を行い、その結果によってどのような環境かは別として、108回の人生が無条件で与えられるわけです。そして108回の人生を終えたとき、その総決算がなされるということです。
 このサイクルが3,000サイクル続き、108×3,000で合計324,000回の人生が与えられます。これが、すべての魂に公平に与えられる進化のためのチャンスです。これだけの人生を生きてきても進化することがなかった場合、すなわち転生のチャンスを使い果たしてしまった場合は、地獄での洗浄が終わっても、もう二度と人間として生まれることはありません。

 以上、私たちが死後にたどる三つの道をあげました。多分、誰でも地獄にだけは行きたくないと思うでしょう。しかし、私たちが自分の今まで生きてきた道を、謙虚な気持ちで振り返るとき、自分は大丈夫、と胸を張って言える人が、どのくらいいるでしょうか。私たちはみんな、罪深い存在です。ただ、それを自覚して生きていくのと、漫然と日々を送るのとでは、死後、大きな差がでるということです。

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